ドージョーチャクリキについて
ドージョーチャクリキとは…
ドージョーチャクリキは1972年に世界一の名トレーナーであるトム・ハーリックによってオランダで設立された格闘ジムです。K-1で活躍したブランコ・シカティックやピーター・アーツなど数多く のチャンピオンを輩出した名門ジムとして知られております。2004年10月、待望のチャクリキ・ジャパンがノブ ハヤシ を中心としてオープンしました。今後もチャクリキは、「前へ、前へ」の”チャクリキ魂”の精神を大切に、 全てに通ずる「より強く!」を目標に、修練と研鑽を続けて参ります。
ドージョー・チャクリキ創始者
トム・ハーリック
欧州にキックボクシング(ムエタイ)を持ち込んだ初の人物で、アジア人以外では初めて世界ムエタイ協会の副会長に就任。日本では、K-1の隆盛とともに、初代王者のブランコ・シカティック、3度王座に輝いたピーター・アーツなどの活躍で、名トレーナーとしてその名が知られるようになりました。 ジェロム・レ・バンナ、バダハリ、メルビン・マヌーフ、ロイド・ヴァン・ダム、ヘスディ・ゲルゲス、ラウル・カティナス、フランク・ムニョスなど、多くの世界トップクラスファイターを輩出、現在もトレーナーとして指導を続けています。
ドージョーチャクリキジャパン
館長 ノブ ハヤシ
ヨーロッパ以外で世界初のチャクリキ免許皆伝を取得。2004年にドージョーチャクリキ・ジャパンをオープンし、館長に就任。K-1デビュー戦で3連勝、GPトーナメント決勝進出を果たし、大きな話題となりました。その後も「逆輸入ファイター」として、ピーター・アーツ、シリル・アビディ、アレクセイ・イグナショフなど主に外国人選手と激闘を繰り広げ、名勝負を残しました。また戦歴以上に外国人選手にパワー負けしなかった唯一の日本人ファイターとして極めて高い評価を得ています。急逝したアンディ・フグ選手の最後の対戦相手として知られていますが、奇しくも2009年にアンディと同じ急性骨髄性白血病に倒れ、一時期リングを離れ闘病生活を送っていました。再発再入院を経て奇跡的に回復、2012年より練習を再開、リング復帰を目指しています。
ドージョーチャクリキ・ジャパン 選手紹介
ノブ ハヤシ | 天田 ヒロミ | 龍鳳 |
ドージョーチャクリキ 選手紹介
ピーター ・ アーツ | ヘスディ ・ ゲルゲス | ジェロム・レ・バンナ | ラウル ・ カティナス |
アウデウソン"ブラドック"シウバ | フランク ・ ムニョス | セルゲイ ・ ラシェンコ | アミール ・ ゼヤダ |
イブラヒム ・ アラブ | マルセロ ・ アドリアーンス | サウロ ・ カバラリ | マリノ ・ スコーテン |
ナヤネッシュ ・ パリック | ニコラス ・ モッタ | ニルディマー ・ アルビス |